なぜ人はロレックスに数百万円を払うのか──腕時計は「時間」ではなく「意味」を示す装置である

「時間を知る」だけなら、携帯電話で十分。にもかかわらず、多くの人がロレックスに数百万円を支払う。 この価格差は、精度や実用性だけでは説明しきれません。

ここで鍵になるのが、フランスの社会学者・哲学者ボードリヤールが提示した視点です。 彼は現代の消費を、モノそのものではなく「記号(サイン)」を買う行為として読み解きました。 腕時計も例外ではありません。

「時間」を確認するなら携帯電話で十分、しかしロレックスは「自分」をも示す。
腕時計は、いつの間にか“自己像を可視化する装置”になった。

腕時計は「道具」から「記号」へ

かつて腕時計の価値は、精度・防水性・耐久性といった機能面にありました。 しかし現代の高級時計、とりわけロレックスの購入動機の中心は、機能よりも自己像(セルフイメージ)に寄っています。

  • 成功者らしく見られたい(信頼・地位・実績のシンボル)
  • 「自分はここまで来た」という到達感が欲しい
  • 周囲からどう見られるか(社会的評価)を意識している

つまりロレックスは「時間を測る道具」ではなく、「成功した自分」「信用される人」「一定の階層に属する人」といった記号を身につける行為として機能します。

人は“違い”にお金を払う──差異が欲望を刺激する

消費社会では、人の欲望は「差異(他人との違い)」によって増幅され続けます。 腕時計の世界で言えば、実用面の差が小さくても“意味の差”があれば人は強く惹かれます。

比較軸 実用上の差 買われる「意味(記号)」
ノンデイト / デイト 好みの範囲 ミニマル/王道、玄人感
新型 / 旧型 微差のことも多い “今”を纏う/希少性・物語
正規 / 並行 保証などに差 安心感・達成感/スピード・合理性
王道モデル / 通好みモデル 用途は近い 分かりやすい成功/静かなこだわり

人は“性能の差”ではなく、“自分がどう見えるか/どう語れるか”という差にお金を払う。 腕時計はまさに、その差異を体現できるアイテムです。

SNSが「記号消費」を極限まで加速させた

SNSの登場で、腕時計の記号性は決定的に強化されました。 購入報告、着用写真、高級車やタワマンとのセット投稿──腕時計は デジタル空間で他者に提示され、評価される記号としてシンボル化しました。

  • 消費が「見える化」される(投稿として残る)
  • 反応が「数値化」される(いいね・コメント)
  • 比較が「常時化」される(タイムラインで絶えず流れてくる)

その結果、腕時計は「自分の満足」だけでなく、「他者の視線を前提にした満足」へと比重が移ります。 極端に言えば、実用性が薄くても“他人と違う自分”を演出できるなら成立するのが記号消費の強さです。

それでも今、「脱・記号消費」の兆しが見え始めている

ここ数年、腕時計の世界でも「記号としての消費」に変化の兆しが見え始めています。 当店でも、以前はダイヤを多用したいわゆる“ギラギラ系”のモデルを検討されていたお客様が、 セミヴィンテージやヴィンテージといった、少し古い年代のロレックスへ関心を移すケースも増えてきました。

実際に、セミヴィンテージでは Submariner Date Ref.16610、 ヴィンテージでは Submariner Ref.5513Explorer Ref.1016、さらに「手巻きデイトナ」といった、現行の派手さとは別の魅力を持つモデルにさらに注目が集まっています。

これらはSNSで一目で分かる派手さや、分かりやすいステータス性を前面に押し出す存在ではありません。 むしろ、 “時間の積層”“作りの美学”、そして“個体差を含む物語”を楽しむ対象として選ばれています。 これは単なる流行の変化ではなく、腕時計に求める価値軸が静かに移り始めている兆候だと言えるでしょう。

兆し①:あえて「分かりやすい記号」を外す

  • 王道モデルから、あえて控えめなモデルへ
  • “見せびらかし”に見える消費行動を避ける
  • ロレックスを持っていても、場面によって外す

これは「高級時計を否定した」わけではなく、記号の圧(見られ方への疲労)から距離を取る動きとも読めます。

兆し②:ブランドより「背景(コンテクスト)」を重視する

特にデジタルネイティブ層では、価格や知名度だけでなく、 「なぜこのモデルが愛され続けるのか」「どんな時代背景でこの意匠が成立したのか」といった 文脈(コンテクスト)が重視されがちです。いわば“意味を自分で選びたい”という態度です。

兆し③:「所有」より「付き合い方」へ(本数を減らす・長く使う)

  • 本数を絞り、一生モノとして選ぶ
  • 転売価値より、使い込みの満足感を重視する
  • サステナブル意識(過剰消費の回避)が背景にある
記号で競う時代から、価値観で選ぶ時代へ。
“見せる時計”から“語る時計”へ、静かな転換が始まっている。

腕時計は、これから何を語る存在になるのか

消費社会において、腕時計は「他人との差異を示す記号」でした。 しかしこれからは、 どんな価値観で生きているか/何を選んだたかを静かに語る存在へ、役割が変わりつつあります。

派手な記号競争から一歩引き、「それでも私はこれを選ぶ」という意思の表明としての腕時計。 そのとき腕時計は、再び時間と人をつなぐ“ツール”へ近づくのかもしれません。

監修者のプロフィール

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コミット銀座

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